カディの夏を前に

Before we are promoting hand-spun & hand-woven cotton (so called “Khadi”) in this Summer

 

カディ(手紡手織綿布)の夏を前に

 

カディ(カーディ)“khadi”という言葉は、いつの頃からかファッションの素材として取り入れられ、定着しつつありますが、そもそもは、インドの独立運動のときにガンジーによってその意義が見出され、思想として、あるいは、象徴として保護推奨されてきた経緯があります。

 

カディという言葉の解釈は様々で、多くの場合において手紡手織の布(特に綿布)をさしますが、村で作られる布全て、あるいは、村の産業に関わる物産全てをカディなのだという人もいます。

 

手紡ぎ手織りならではの風合いや、現代カディの主要産地であるベンガルの風土が生み出す細番手(いわゆるモスリン)の軽やかさや着心地の良さが、今日のカディの大きなイメージを形成しています。

それらはアンバーチャルカという糸車を使い人の手によって紡がれ、織られることで、機械紡績や機械織にはない揺らぎや測ることのできない熱を孕み、現代的な価値をつくり出しています。

 

また、グジャラート・カッチで作っているペティチャルカ(箱型の携帯可能な糸車)のカラコットンカディなどは、大きな思想を背景にしているのではなく、あるいは産業的な要請でもなく、ただ(自慢の)手を動かしていたいという、慎ましくも賢明な女性たちの声によって復興した小さな営みです。その営みの中心にある在来綿のカラコットンは、農家の方々にとって、決して効率の良い作物ではありませんが、彼らの農地の二割を使い、手紡ぎや手織りの営みをする地域の方々のためにとつくり続けられています。

 

日々布と対話する染めなどの職人の中には、染めるのが難しくてもできる限りカディや手織り布を使いたいという方もいます。良い料理人が良い食材を求めるのと同じに。

 

今日私たちがそれらの布を纏うのはなぜでしょうか。大陸の珍しいものをあつめるのは、私たちのDNAなのかもしれませんが、そればかりではなく、それらによって断絶していた布とのつながりをまた始められる予感がするからではないでしょうか。

 

ただ経済効率的、利便的なレイヤーだけで布や素材と対峙する人には感知できない世界かもしれません。

 そうした測ることのできない大切なもの、まだまだわからないインド世界への敬意も含めて、この夏もみなさまにお届けしていけたらと思います。


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