コロナ禍が少し落ち着き、ようやくインドに渡航した2022年の3月のことは忘れられない。
2年ぶりにインドに戻り、デリーの空港についたときは、臨死体験した人が娑婆に戻るような、もう二度と踏むことができないかもと思っていた望郷の地に舞い戻るような高揚感があった。
デリーで旧友に再会し、カッチやアーメダバードでようやく馴染みの職人にあったり、新しい職人を見に行ったりして、すでにくたびれ果てて、最後になんとか辿り着いたのがベンガルだった。
コロナ中、一番来たかったのがベンガルだというのに。
多分一番変わらずに、お互いを生命線として頼り合い、仕事をし続けたからだろう。
コルカタで旧友らに再会した後、まずはコルカタから一番近い、織りの村を目指した。コロナ中も定番の生地やデザインを一緒に考えるプロジェクトをリモートでやっていて、会わずともなんとなく様子がわかる部分もあった。
コロナ禍は一度立ち止まり、デザインについて色々考えるきっかけでもあった。
普遍的な手織布を変わりなく提供することを目指す事業ではあるものの、とにかく仕事が欲しい彼らと、売れるものだからといってただ盲目的に同じデザインを繰り返したくない気持ちの間で揺れていた。
さまざまな商いの手段が絶たれたコロナ禍で、手織の村のデザインやコマースの様相は瞬く間に変わった。友人のインドのデザイナーが手がけた特徴的なデザインのジャムダニは、大量に模倣されて巷にあふれかえり、もはや斬新なデザインでもなんでもなくなった。
そんな2年間を過ごした後で、ただジャムダニを織っていただくということに虚しくなった。ベンガルの職人の眼は、他の土地に比べて、何か諦めを浮かべているように思えるときがある。紀元前からずっと、誰かに向けて織ってきた土地。
コロナ前に戻るのではなく、進みたいと思った。
久々の客らしくいつもにない感じでもてなされ(あるいは私たちがコルカタで買ったミーターイだったか...記憶が曖昧)、甘ったるいチャイを飲みながら、皆でタゴールの詩をよんでみようということになった。